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三本木小学校の歴史探索 第5回 じいちゃん桜のように根を張って


 校庭のプラタナスの上に広がる秋晴れの高い空を鳶が弧を描いて飛んでいます。どこまでも澄んだ青空,ゆっくりと東に動いているひつじ雲,そして学校を取り巻く深緑の森,秋の日差しの中で,三色のコントラストが実に鮮やかです。目線を少し下ろすと,雨上がりの校庭を子供たちが元気いっぱいに駆け抜けて行き,手前の花壇では,この夏の忘れもののようなマリーゴールドに白や黄の蝶がとまっています。
 日々,窓外に見えるいつもの風景ではありますが,150年という時の流れの中で,時代と共に心に残る学校の風景も変わってきたことでしょう。今回の歴史探索は,目に映る本校らしさと強く関わる学校の桜木から本校の歴史の一片を見てみたいと思います。
 今年度の学校要覧の表紙は,桜の古木の間から見える校舎の風景です。この桜木,45度はあろうかと思えるほどに傾き,大きく広げた枝はすでに自立できずにつっかえ棒で支えられています。幹の表皮はところどころ剥げ落ち,大小様々なこぶで覆われ,根元には大きな洞もできています。明らかな古木。しかし,今春,この老木は,大きく広げた枝全体に見事な薄桃色の花を咲かせ,花吹雪は遊んでいる子供たちを覆いつくしました。夏には,その大きな木陰が子供たちを強烈な日差しから守り,突然の雨が降り出せば,大きな傘にもなってくれました。いつの時代も子供たちから愛されてきた「三本のじいちゃん桜」は三本木小学校のシンボルツリーの一つです。
 元三本木町教育委員会教育委員長の海老主吉郎氏は「町から学校に入る坂道の両側には八重桜の木が植えてあって花の季節には満開のトンネルだった。この長い坂道を上ると御影石の校門があり,両側には八重桜と染井吉野桜が数本あった。どの桜もかなりの古木で直径四,五十センチもあったろうか。(中略)また東の崖っぷちにも桜があって毎年花を咲かせていた。」と,「思い出すまま 思いつくまま」の中で,昭和18年当時の校地内の木々の様子を記述しています。また,この冊子には,当時の校地見取り図(右図)が添えられているのですが,そこに記された桜を現在の校地に当てはめてみると,どうやら「東の崖っぷちの桜」が前述の「三本のじいちゃん桜」ではないかと考えられるのです。そして,この図に記されたものの中で,今も残っているのは,校門と忠魂碑,そして校木のプラタナスとこの三本の桜の老木ぐらいでしょう。
 「三本のじいちゃん桜」は,「東の崖っぷちの桜」として数十年間も海老主氏の記憶に残っていいました。と
いうことは,当時の樹齢を加えれば,おそらく今では樹齢90歳から100歳にはなるのではないかと思います。長い間,そっと静かに子供たちを見守っていてくれたのです。
7月の朝,校庭に落ちている長さ2メートルほどの桜の枝が見つかりました。幸い子供に当たることはありませんでしたが,学校では緊急の点検を実施し,専門業者による目視確認も行ったのです。その結果は,「三本の桜の老木はいつ倒木しても不思議ではなく,伐採しなければならない。」というものでした。もしかしたら,三本のじいちゃん桜が満開の花を咲かせる姿を見ることは,もうなくなるのかもしれません。
 昭和35年12月に制定された本校の校章は,図案化された桜の花の中に三小という文字を配したとてもシンプルなものです。桜を用いたことについて三本木町誌には「桜花は桜の名所三本木を示し,同時に国花にあやかったものである。」と記述されていますが,桜の町の小学校に桜は欠かせない樹木だったのでしょう。現在,校地内には「三本のじいちゃん桜」をはじめ,30本ほどの桜の木があり,4月の花の季節には,校地全体を薄桃色に染めて新入生を迎えています。日本人の心の花・桜は,プラタナスと共に三本木小学校のシンボルなのです。
 私は,相田みつを氏の「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ」という詩が好きです。小学生である本校の子供たちは,将来,自分の幹を太くし,たくさんの枝を伸ばし,きれいな花を咲かせていくことでしょう。しかし,そんな子供たちの成長を支えていく根っこは,各家庭であり三本木という地域であり,小学校であると思います。私たちは,三本のじいちゃん桜のように,子供たちの人生を支える「根っこ」をしっかりと張らせるため,これからも三本木小学校ならではの教育活動に取り組んでいきます。(文責 高橋)