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三本木小学校の歴史探索 第4回 私説 こうして三葉は三本木小のシンボルになった?! ~ 三葉の友に光あり 三葉の友の夢はるか 三葉の友に栄えあれ ~


 昭和35年に制定された本校の新校歌(山本正作詞・海鋒義美作曲)の歌詞には,1番から3番のいずれにも「三葉の友」という言葉が使われています。そして,この「三葉」は本校らしさを表すシンボルとして組織や会,行事などの名称をはじめ,「みつばのめあて」のような取組の表題など様々なところに用いられているのです。しかし,この「三葉」が何という草木の葉なのか,どのような由来があるのかについては,これまでのところ確かな記録や証言には出会えていません。
 そこで,今回の歴史探索では,「三葉」が本校のシンボルになっていった経緯をわずかに残った歴史の断片から推理し,時代と共に変わってきた三本木小学校の教育観も含めて考察してみたいと思います。
 三本木小学校のシンボルとしての三葉ですから,「三本木という地名が三本の高木に由来することにつながりがあるのではないか。」という推論は容易に成り立つでしょう。つまり,三葉とは,やがて大木になるであろう「三本の若木の葉」を表すのではないかというものです。実際,「みつば児童会」の旗(H6年度製作)に描かれているマークが,何らかの樹木の葉をモチーフにしているように見えることからも,この推論は的を射たものだと思われます。更に,「いまはみつば児童会(今は若木のような子供だけれども) やがてごらんよわたしたち ぐんぐんと根をはり黒土に 大きくなろうよ三本木(故郷に尽くすため,大木のように大きくなりましょう。)」という「みつば児童会の歌」の歌詞もこの推論を裏付けているように思えます。
 本校には,土井晩翠の作詞と伝わる旧校歌がありました。しかし,敗戦によっていつしか歌われなくなり,昭和35年に新しい校歌が制定されるまでの間は,「みつば児童会の歌」が学校行事をはじめ様々な場面で歌われていたとのことです。
 戦後,進駐軍と共に入ってきたデモクラシーによって,わが国のあらゆる価値観は180度転換しましたが,教育も例外ではありませんでした。小学校においても民主主義を体験的に学ぶ場として,学級会や児童会がつくられ,「いろいろな問題を討議し解決するために児童全体が積極的に参加する(昭和26年改訂の学習指導要領より一部抜粋)」教育活動が展開されるようになっていたのです。本校でも,当時本校教諭であった伊東あや子先生の作詞作曲により「みつば児童会の歌」がつくられていたことを考えれば,児童会をはじめとした民主主義の学習が盛んに行なわれていたと思われます。そして,“みつば”は,新しい児童の姿や新しい教育活動を表すシンボルとして定着し,校歌にも取り入れられるようになったのでしょう。
 このたび開校150周年を記念して作成した三本木小学校・みつば児童会のキャラクターは,明らかにクローバー(シロツメクサ)をイメージしたものになっています。令和の子供たちにとっての“みつば”は,クローバーの葉です。そして,そこに込められた学校の願いは,知・徳・体が調和した人格形成であり,互いに信頼し合い,協力しながら粘り強く頑張る児童の育成なのです。
 大木になることを目指す若木の葉から協調の根を張り調和の葉を茂らせる野草へと,“みつば”の形と意味は,時代と共に変わってきました。しかし,そこには,その時代に生きた教員や保護者,そして三本木に生きる人々の大きな期待や希望,願いが込められていたことは確かだと思います。
 三葉の友に栄えあれ!
                    (文責 高橋)