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三本木小学校の歴史探索 第3回 悲しくもまた懐かしい歴史の生き証人 ~ 旧日本海軍94式水上偵察機のプロペラ ~


 本校に着任して間もなく,校舎内を巡っていたところ,会議室の片隅に巨大なプロペラが置かれていることに気付きました。「C型川西1025」―そのプロペラの取り付け部には,型番と思われる記号や「九四式水上偵察機」の文字が記されており,どうやら飛行機のプロペラであるらしいことが想像されました。なぜ,そんなものが学校にあるのか不思議に思い,長く勤務している職員に聞いてみたのですが,「以前は玄関などに飾られていたこともあるようですが・・・」と,首を傾げるばかり。詳しいことを知る者はいませんでした。
 そこで,今回の三本木小学校の歴史探索では,「なぜ,軍用機のプロペラが小学校に保存されているのか。」この疑問の答えを探して時間を遡ってみたいと思います。
 「戦時中,三本木小学校旧校舎正面玄関を入ったところに,木製のプロペラが飾ってあった。」三本木町教育委員会第10代教育委員長(H6.11~H13.9)を務められた海老主吉郎氏は,戦前,戦中,戦後の思い出などを綴った手記「思い出すまま 思いつくままに」の中で,このようにプロペラの思い出を振り返っています。氏によりますと,このプロペラは,当時軍人だった鈴木源吉氏(仲町,後に県議)が,昭和15,6年頃に寄贈したもので,子供たちの戦意高揚を図る意図があったようです。日独伊三国軍事同盟が締結され,大政翼賛会が発足した昭和15年(1940年)から真珠湾奇襲攻撃により太平洋戦争が勃発した昭和16年(1941年)は,日本中が戦争に突き進んでいった時代であり,三本木も例外ではなかったのでしょう。三本木小学校が三本木国民学校に改称された年,玄関に飾られた巨大なプロペラを見た子供たちは,軍用機に乗って果敢に戦う兵士に憧れ,「いつか自分も」と巨大なプロペラの付いた飛行機で大空を舞う自分の姿を夢見ていたのかもしれません。
 しかし,昭和20年(1945年)の敗戦は,全ての価値観を一変させました。「国策推進のシンボルだったこのプロペラも昭和20年の敗戦を境に一転して軍国主義の遺物とばかり早速取り外され,(中略)人々の記憶からもほとんど消えてしまっていた*1」のですが,昭和63年の西校舎新築工事にともない物置の梁に括り付けられた状態で発見され,後に新たな使命を託されて子供たちの前に展示されることになったのでした。
 「戦争を経験したわたしたちには,悲しくも,また懐かしい歴史の生き証人だから。」
平成17年の新聞記事*2の中で海老主氏は,「歴史の生き証人」という意味をこのプロペラに見いだしたこと,そして,今後は不戦の誓いのシンボルとして長く大切にしていってほしいという願いを語っています。子供たちの戦意高揚を目的にしていた軍国主義のシンボルは,戦争の愚かさと悲しみを伝えるシンボルへとその役目を転換し,今も三本木小学校の一角に鎮座しています。
 シンメトリーに削り出された滑らかな表面と真ちゅうで補強され,金色に輝く美しい曲線を描く木製のプロペラ。これが取り付けられていたのは94式水上偵察機という軍用機でした。この機は,航続距離が長く,抜群の実用性能を持っていたことから大戦末期まで最前線で使われ,中には特攻機として米艦船に体当たり攻撃を行なった機もあったそうです。
 このプロペラが紡いできた物語は,そんな愚かで痛ましい戦争の物語でした。しかし,これからは,未来に向かって歩み出す子供たちに,平和を希求し続けることの尊さと戦わない勇気を教える「歴史の生き証人」として,不戦のメッセージを伝え続けてもらおうと思います。これから先の100年に向けて,長くいつまでも。(文責 高橋)